最近は、AI に文章や資料を書かせながら、その内容を理解していない人がいる。生成された文章を一度も読んでいなさそうな人さえいる。私自身、魂を込めて Design Doc(詳細設計書)を書いていた時期と比べて、細部への理解が甘くなった。昔は完成した文章を何度も読み返したが、今ではせいぜい1回だ。読み込みが浅いので、仕様が脳に焼き付かない。対面で会話する時、理解度の低さに気づく。言葉に詰まるのだ。それだと困るケースも当然あるので、魂を込めるべき機能を選別して、その機能の設計書は「調査は AI、執筆は完全手書き」にしている。
格ゲー界隈では、「使われ」という蔑称がある。強キャラの高い性能のおかげで勝てているような人を◯◯使われと表現する。AI は紛れもない強キャラであり、AI 使われが増えていると感じている。私も振り回されている。昔は、自分が苦手な領域(例:文章、コーディング、管理)の作業を避ける人が多かった。今では、AI が作業を代替してくれ、自分で評価できないレベルのブツを生成してくれる。この生成物が AI Slop(低品質コンテンツ)になりがちだ。最近のテーマは、「AI 使われからの脱却」である。AI 使いへの道を歩む。
個人的な AI の良い使い方のひとつは、理解できない技術に関して質問攻めにすることだ。例えば、私は Mastering Ethereum Chapter 4. Cryptography を読み終わった後、自分の言葉で何も語れなかった。今後の飯の種なので、ChatGPT に URL を渡してから質問攻めして理解度を上げている。同じことを人間にしたら、「もう少し自分で調べたら?」と呆れられるだろう。一方、思考を外注するための壁打ちは悪い使い方だ。回答が一意に決まらない曖昧な質問を繰り返しても、発散する。せめて判断基準を示すべきだ。「簡単に作れて、売れるゲームを教えて」と AI に尋ねても、答えは出ないだろう。