LLMっぽい文章を見ると身構えてしまう
私は、最近3回ほど、拒否反応が出ました。
それらは全て、LLM が生成したと思われる文章をチャットツール上で渡されたときでした。一瞬で拒否反応が出ました。全文を読むまでもありませんでした。視界に入った時点で拒否反応。構造化されて箇条書きを多用した文章、無駄に長くて内容のない文章、太字や絵文字の乱用。その文章を人から渡される。
私は人間ができていなかったので、思わず指摘しました。「これ、LLM の文章をそのまま渡してませんか?」と。急に敵対モードに豹変してしまい、関係者には申し訳なかったと思います。
相手が思考しているかを疑ってしまう
LLM が書いた文章をポンッと渡された時、「キチンと内容を理解してますか」と尋ねたい感情が湧き上がります。当然、理解している方もいます。しかし、詳細を質問すると、しどろもどろな方もいます。LLM っぽい文章が登場しただけで、相手に当事者意識があるのか、責任感があるのかを疑う羽目になって、精神衛生上よろしくないです。
私は普段から LLM の出力を疑ってかかる仕草をしています。LLM っぽい文章を見たら条件反射で疑ってかかってしまいます。ここでの疑念を払拭するコストを押し付けられている感覚もあります。「あなたの判断や意見が反映されてないのであれば、LLM と直接やり取りします」と言いたくなります。
LLM の出力(文章)からは逃げられない
もう人間が書いた文章だけで、業務を回すのは不可能でしょう。LLM を使えば、圧倒的に楽で早いですから。私自身も、段々 LLM に文章を書かせるようになっています。
例えば、私は PR やコミットメッセージ、ドキュメンテーションコメントの文章を LLM に委ねました。「おや、これは紛れもないダブルスタンダードではないか」と感じたあなた。そのとおりです。もはや私は、誰かが LLM っぽい文章をチャットツールに貼ったとしても、私はそれを咎める資格がなくなりました。
最近一線を越えた瞬間は、私のブログ内にある Machine Learning をLLMに書かせたことです。私が書いたのは、参考文献だけ。完全に私個人向け記事であるため、LLM に文章を書かせることを許容しました。最後のあがきとして、完全に自由に書かせるのではなく、約8年分のブログ記事から文章の特徴を LLM のスキル化し、文章を書かせました。それでも、完全に納得できる文章を生成できていません。
時間をかけたあなたの文章が読みたい
合理的ではなく、完全に迷惑なマイルールかもしれませんが、人が書いた文章を読みたくなるタイミングがあります。チャット、重要な意思決定をする時の資料、趣味を語る文章……私は、個人サイトの掲示板で数年間ほど毎日長文のやり取りをしていた時期があったので、他人の考え方を文章経由で触れるのが好きなんだろうなと考えています。
文章は、コードと同じで、書いた人の思考が見え隠れします。分かりやすい例では、ラーメン評論は分かりやすい癖のある文体の好例で、「いや、体調や来店時の天気の情報はいらなくね?」と思いつつも、あの書き出しに様式美を感じます。私は、文章やコードを見た時に「ああ、あの人らしいな、この書き方(言い回し)は」と感じる瞬間が好きです。
この嗜好やマイルールが迷惑になる時代が近づいてくる予感がしています。少なくとも LLM っぽい文章を渡された時に感情が波打たないように注意しなければならないと感じています。そして、遠くない将来、私は LLM が生成していない文章を追い求めて彷徨うロートルになりそうです。時代遅れでも、私はあなたの文章が読みたい。
